そた@イギリス留学

大学生が9ヶ月間のイギリス留学で見たもの感じたことを書いていきます。

🇩🇪ドイツ旅行-ニュルンベルク-

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エディンバラのとある通りにあるイルミネーション!この前インスタ見てたら、エディンバラの友達があげる動画と、日本の友達があげる動画がそっくり。このイルミネーション、神戸のルミナリエにめっちゃ似てませんか?笑

神戸パクったでしょ〜って思ってたら、友達がいうには神戸のやつを参考にしてエディンバラのができたんだとか。真相はわかりません笑


そんなことより、、もうすぐ1年が終わっちゃいますね。なんか全然実感ありません。日本って年末&正月>クリスマスって感じなので、年末とかお正月すごい実感するんですけど、こっちはもうクリスマスへの意気込みがすごいです。年末<<<<クリスマスといった感じでしょうか。お店は基本的に開いてないし、彼氏彼女がいてもクリスマスは家族で過ごすのが普通みたいです。

日本ではクリスマスはカップルのためっていうイメージ強いし、一番ケンタッキーの売れる時期だよって言ったらめちゃくちゃ笑ってました。

新年も、そもそもお正月という概念がないので、友達に聞いたら「新年?まあただ信じられないくらい酒飲むだけかな」って言ってました笑

 

さてさて、テストも終わって約3週間の冬休みが始まりました!!テストはまじでやばかった…やっぱりむずかしい。冬休みにも旅行に行くので、その前にドイツ旅行のブログを最後まで書いておきます。

 

今回はミュンヘンと併せて滞在したもう1つの都市 Nuremberg(ニュルンベルク)について!!ミュンヘンと比べると少しマイナーな街だと思います。ドイツ南部の地方バイエルン州の州都はミュンヘンで、ニュルンベルクは第2の都市です

 

なんと言ってもここニュルンベルクは、中世からの歴史と伝統を受け継いだ場所で、そのクリスマスマーケットが有名です!

「世界一有名なクリスマスマーケット」と呼ばれるニュルンベルクには、この時期に世界中から人が集まってきて賑わいます。

いやーほんとにきれいで楽しかった。書きながらもうすでに行きたくなってます笑

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クリスマスマーケットのことは前回の記事でも書いたので今回はそんなに書きませんが、間違いなく冬にヨーロッパ を旅行する最大の楽しみの1つだと思います😆

やっぱり世界一有名なクリスマスマーケットだけあって、日本人の方めちゃめちゃいました、もうびっくりするくらい。レストランで隣の席が日本人、みたいなこともしばしば。エディンバラも観光地とはいうもののそんなに日本人観光客見ないので、少し不思議な気持ちでした

 

もちろん僕たちもクリスマスマーケットに惹かれてニュルンベルクに行ったのもありますが、もう1つこの街はあることで知られています。個人的にこの街にすごく興味を持った理由の1つでもあるんですが、ここニュルンベルク第二次世界大戦のころ、ヒトラー率いるナチスが初めて党大会を開催し、その後も活動の中心地だったナチスの象徴の場所です。今回はいけませんでしたが、日本の東京裁判と並んで戦後裁判として知られるニュルンベルク裁判も文字通りここで開かれ、ナチの主要人物たちが裁かれました。

 

歴史はもともと好きだし、日本の大学でも少しだけナチスについて学んだことがあったので、ドイツに行ったら実際に触れてみたいとおもいました

まず感じたことは、ヒトラーナチスの歴史は、触れてはいけないタブーとして完全に切り離されていること。当たり前といえば当たり前なんですが改めて実感しました。例えば、ゲルマン博物館なる場所に行ったのですが、はるか昔から近代までのあらゆる芸術品や歴史的な品々が展示されている中で、ナチス時代だけぽっかりと穴が空いたかのように一切展示はありませんでした。

あと、これはわりと知られていることかもしれませんが、ドイツでは指を揃えて手を上げる動作は完全にタブーです

日本で僕たちが教室で手をあげるときにしたり、お店で店員さんを呼ぶときにするみたいな、僕たちにとったら当たり前の動きです

でもこれは、ナチス式の礼の仕方にそっくりなので、ドイツでは絶対にやったらダメです。場合によっては罰金が課せられたり、逮捕されることだってあるらしい。

 

そしてこのナチに対する考え方はドイツだけじゃありません。ユダヤ人の多くいるヨーロッパ の国々はナチスの歴史に対してすごく敏感です。フランスでもこの挙手の動作はタブーみたいです。

それに、びっくりしたんですが、以前、戦争を知らない若いギリシャのサッカー選手が他意なしに観客に向かって右手を斜め前に挙げるポーズをしたことで、犠牲者への配慮を欠きスポーツマン精神がないとして代表チームから永久追放されたそうです。

 

では代わりにどうするのかというと、人差し指を挙げます。こんな感じ

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学校でもお店でもどこでも、基本的にみんなこのポーズを使います。ドイツ旅行に行く際はちょっとお気をつけて!!

 

でも僕が言いたいのは、ドイツの人たちは決してその歴史を隠して闇に葬ろうとしているわけではないということです。民族に対する行為なのでもちろん現代の世界にもユダヤ人は多く暮らしています。ちなみに僕のフラットメイトの1人はユダヤ人です。だからこそ、その人たちの感情を汲んで日常からナチの歴史をできるだけ隔離するのは当然のことです

でも一方で、ドイツはしっかりとこの歴史を伝えていくために、専用の博物館を作ったり、強制収容所をなるべくそのままの形で残しています。

ぜひ自分の目で見たいと思って行ってみました。

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まずはここ、ナチ・ドキュメントセンターです。ちょっと郊外にあるんですが、ニュルンベルクの中心地から歩いても行ける範囲です

ヒトラーやその側近たちの生涯、ナチスの辿った道が年代ごとに細かく展示されています。

そしてなんといってもこの場所こそが、かつてナチがその党大会を開いた場所です。現在でも残っています

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内部はでかすぎて収まりきりませんでした、外から見るとこんな感じ。どこかイタリアのコロッセオを彷彿とさせます。行ったことないけど。

 

そしてもう1つ行った場所ですごく衝撃的だったのがダッハウ強制収容所です。

ニュルンベルクから電車とバスで30分くらいで着きます。強制収容所といえばアウシュビッツなどが有名ですが、このダッハウ強制収容所はナチによって一番最初につくられた収容所で、アウシュビッツなど以降の収容所のモデルとなった場所です。

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かなりショッキングな画像や内容になってしまうかもですがありのまま書きたいと思います。

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門にあった言葉。「ARBEIT MACHT FREI」ドイツ語で「働けば自由になれる」という意味だそうです。収容者は信じて働いていたのでしょうか

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門を入ってすぐあるのが大きな広場。Roll Call Areaと言って、天気など関係なく毎日朝と夕方に収容者の点呼が行われた場所です。

脱走者やナチに反抗した収容者がいると罰として数時間、丸一日動かず立たされることもあったそうです

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広場の中央には記念碑があるんですが、特に印象的だったのがこれ

この収容所が使われていた1933-1945の文字の上には、独特なオブジェ。これは、収容所全体をぐるっと囲んでいる鉄格子をよじ登って脱走しようとした収容者たちが撃たれたりして苦しんでいる様子をイメージしています。

鉄格子の下にはいくつもの監視塔が点在していて、脱走しようとした人を見張っていました。収容所での生活があまりにも苦しすぎて、わざと鉄格子に近づいて撃たれることで自殺を図った収容者も大勢いたそうです。

 

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実際に収容者たちが寝泊まりしていたバラックも展示されています。仕切られた木のベッドのようなもの、1人用だとしても小さいくらいの大きさですが、当時はこの1つのスペースに何人もの収容者が押し込められるように暮らしていました

 

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これはトイレ。なんと、トイレに座る時間も決められており、1人10秒しか使えなかったと言われています。

そしてなんと言っても木製のバラックは隙間がたくさんあり寒い風がガンガン入ってきます。ドイツの冬はめちゃめちゃ寒いです。緯度でいうと北海道よりも上です

当然布団や暖房などない中で、寒さに凍えていたそうです

 

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この並木通りの木は収容者たちによって植えられたそう

限られた自由な時間に、この道で仲間たちと語り合ったりしていたみたいです

木の両側にスペースが見えると思いますが、今はもうありませんがここは全部バラックが立ち並んでいました。すごい数です。でもびっくりするのは、現在見学できるこのスペースは当時の収容所の一部でしかないこと

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これが当時の写真なんですが、さっき載せた広場が12番の場所、その先にある通路がこの並木通りです。全体がどれだけでかいか分かると思います

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次に見たのが、この建物。個人的に一番衝撃的でした。ガス室です

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この扉の前で、収容者たちは「シャワー室」とされている次の部屋に入る前に服を脱ぎます。

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そして実際に次の部屋にはシャワーに見せかけたようなものが取り付けられていますが、実際には出てくるのは水ではなくガスです。こうして大量虐殺が行われました

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そして連なるように、次の部屋には焼却炉。亡くなった人を焼いたのでしょうか。

ナチは、「この収容所にはガス室はあるが実際には使われていない」と言っているそうですが、真相はわかりません。

 

歴史の教科書や映画で見たガス室に自分が今いると考えると、本当に言葉が出ませんでした。

 

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その他にもこの囚人部屋やちょっとした博物館も併設されていました。当時のあまりにもひどい状況がありのままに語られていました。

正直全てがショッキングで、目を背けたくなるものばかりです。でもここで起こったことは紛れもなく事実で、人間が同じ人間に対して行ったことです。

もちろん過去にばかり目を向けるべきではないけど、絶対に忘れてはいけない歴史も存在するということを改めて感じました。広島出身なので、小学校の頃に社会見学で行った原爆ドームの衝撃を少し思い出しました。

 

長くて暗い話になってしまいましたが、ニュルンベルクでは他の場所にも行きました!天気があまり良くなかったのであまりいい写真は撮れませんでした笑

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これはカイザーブルク城というお城からの眺めです

あいにくの曇天(これが基本です)が、中世やな〜って感じが分かると思います笑

 

あ、最後にもう1つ!ぜひ紹介したいドイツのシステム!!f:id:bokusota:20181224015818j:plain

PFANDシステム命名することにします。ドイツでは、スーパーとかどこでも、ペットボトルや缶、ビンの飲み物を買うとデポジットを払わないといけません。僕たちは基本的に水を買っていたのですが、ペットボトル一本1.5ユーロ(200円弱くらい)だとすると、25ペンス(約30円)が追加で計算されます。

飲み終わった容器を、この写真のようなリサイクル機械(駅とかにあります)に持っていくと、容器を回収してくれると同時にレシートがもらえて、そのレシートをスーパーなどに持っていくと先に払っていたデポジットが返ってくるという仕組みです。

 

これめちゃめちゃいいなって思いました。もちろん30円くらい…って感じかもしれませんが、どうせ道端のゴミ箱に捨てるくらいならリサイクルに回したいって心理が働くはずです。しかも、この制度はホームレスや貧しい人たちの助けにもなっています。実際に、ホームレスの人たちが道に落ちているゴミを拾ったり通行人からゴミを集めたりして、大量のペットボトルをリサイクル容器に入れているところにも遭遇しました。確か30ユーロ(約3900円)くらいはいってました、塵も積もれば山となるってやつですね

ちょっとした手間でポイ捨てが減らせてリサイクルに役立てるなら、日本にもぜひ導入したい制度ですよね!

 

はい、そんなこんなですごく長いブログになってしまいました、すみません

最後まで読んで頂いてありがとうございました!次は何を書くか決めてませんが、また次の旅行のこともブログにしたいと思ってますのでお楽しみに😌

ではでは、Marry Christmas & Happy New Year !!!

 

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おまけ:ミュンヘンの記事で載せ忘れたやつです。この銅像、マイケルジャクソンとは一切関係ありません。ドイツに来た際はマイケルが後ろに見えているホテルに毎回宿泊していたため、ファンがこの銅像をマイケルで飾ったそうです。どんな気持ちなんでしょうこの銅像の人。笑